一年間を振り返って【がんばろう日本】 L.深井 平次
この一年間、会長職を振り返りますと、右も左もわからない中で、三役である、幹事L.金子勝様、会計L.田中伊佐夫様をはじめ、事務局の志村様、各メンバーの皆様方のご指導とご協力のもと、無事任期をまっとうできましたことに対しまして御礼申し上げます。 任期中の最大事は3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(M9.0)に他なりません。岩手県、宮城県をはじめとした地域で未曾有の大災害とその影響による福島県の原発事故で、多くの死者・行方不明者が発生し、今もなお多くの被災者がいます。私たちは各人出来る範囲の力で、長い目で支援していく姿勢が必要です。被災地の皆様方には心よりお見舞いと早期の復旧・復興をお祈り申し上げます。また当クラブにおきましても、多くのメンバー様より支援活動にご協力いただき感謝申し上げます。 第32期、各事業もスムーズに進行したと思われます。しかしながら、反省点のひとつは会員の減少と増員が出来なかったことです。今後改善できますよう協力していきたいと思います。 今後の私のテーマである【地域愛・家族愛】を心強く想い、メンバーの皆様と共に前進し、クラブ活動につとめてまいりたいと思います。
『生きる力と絆』 L.神山 佐市
ある二人の先輩の死 L.萩原 学
昨年(H22年)私は二人の師と仰ぐような先輩を亡くしました。一人は私のスポンサーであるL.森田、もう一人はかつての勤務先の先輩です。
L.森田は12歳年上、私の父との中間の世代で、地元民として子供の頃からお世話になっていました。私が20数年ぶりに会社勤めを辞めて農家組合など父に替わり地元のお付き合いをさせて頂く時、初めはなかなか敷居が高く出て行けませんでした。そのような時気さくに声をかけて頂き受け入れてくれたのがL.森田でした。その後ライオンズクラブにも誘われ、多方面にわたりご指導を頂いておりました。
もう一人は職場の先輩で9歳年上でした。64歳孤独死でした。昨年の4月に退職して、6月に亡くなりました。死後数日たって発見されたようです。
私が知ったのは、昨年10月。共によく通った中目黒の飲み屋でです。久しぶりに飲みに行くとその事実を知らされました。このごろ連絡が途絶えていただけに、ただもう残念と言うかショックでした。
この人は、えんぴつ1本でこの業界を渡り歩く金型設計の職人でした。私が入社してからは落ち着いてそれから約20年間同じ会社で図面を書いていました。時代はCADに変わっても頑なに手書きでした。設計のセンスは抜群で本当の意味で職人でした。小さい会社で設計部門は二人だけでしたからいろいろな話をしました。政治や経済、今問題となっている原発など多岐にわたり、場所を飲み屋に変えても話してました。途中で私は結婚したのですが、生涯独身だった彼は年金問題には強い関心があり、公的年金などあてにならないと自分の入っている民間の生命保険はすべて年金タイプに変えてしまいました。自分の老後は自分で守るという訳です。ところが、運命は意地悪で年金を一度も受け取ることなく、亡くなってしまいました。
二人の先輩は、ともに酒が好きで演歌が好きでした(キリンラガービールと日本酒、北島三郎と美空ひばりの違いあるにせよ)。私もビール大好きなのでもっと飲んで話をしたかった(歌はダメですが)。
残念です。生きていれば、大津波や原発事故などまさかと思う出来事にも出遭えたのです。